『 真の気づき 』を受け取る方法とは?
気づきを得る。その習慣を手に入れる方法
お金と時間を浪費して過ごすことは、やがて人の性能まで奪っていきます。
性能、というとおぞましいので、「感性」と言い換えても良いかもしれません。
前回の投稿で挙げたような部屋での過ごし方は、とても「受動的」なものです。
テレビやネットから絶えず流れてくる情報を何の考えもなく受け取っています。
これでは、何も得るものはありません。
たまにテレビの情報番組で「○○だけでヤセる!」とか「○○を毎日食べると健康になる!」とかいう特集が流れてきます。
この時ばかりは身を乗り出してジッと画面にクギづけになり、見終わった後はテンションが上がっています。
しかし、よく思い出してみて下さい。
こういった類の番組をたまたま観て、きちんと今も実行してます、という人が何割いるでしょうか。
ほとんどの方が、「一週間で挫折した」「3日坊主に終わった」と苦笑いのはずです。
いえ、3日坊主ならまだ良い方です。
結局、「何の実行にも移さなかった」という方の割合の方が、圧倒的に多いことに何の異論もないでしょう。
私も経験があるから、よく分かります。
情報自体はウソではありません。
要は、私達の姿勢の問題なのです。
前述の、することがないからとりあえずスイッチを入れていたテレビからたまたま流れてきた情報。
これらは受け身の姿勢で得た情報です。
得ようと思って探し当て、自らの血や肉にしようと思った情報ではないので、情熱もなく、身にもならないし、日々の生活に生かすこともできないのです。
これが、書店に行き、自分が得たい知識や情報を載せた本や雑誌を買って帰った人ならどうでしょう。
そこには情熱があります。
自分を変えたい。
生活を、人間関係を良くしたい。
本気でそう願い、主体的・能動的に得た情報ですから当然です。

おそらくこの人は、買って帰った本・雑誌をむさぼるように読むことによって、多くの「気づき」が得られるでしょう。
そして得た気づきを、自分の生活や行動に照らし合わせて考え、毎日実践するでしょう。
その積み重ねで考え方や価値観が変わることにより、行動や習慣が変わり、やがて人生を変えていくことになるはずです。
逆に言うと、この姿勢や行動でしか人生は変わらないのです。
人生ではこの「気づき」がとても大切です。
どんなにいいことでも、それをただ「習った」り、「教わった」りでは不十分です。
いい話を聞いた、すごいことを習った、だけではすぐに忘れます。
教える→覚えるでは、10の内容を最大で10受け取るだけです。
むしろ、良くて7か8覚えて帰るのが精一杯でしょう。
そして、時間の経過とともに6→5→4と忘却していきます。
対して、あらゆることから真理やエッセンスを探し当てたとき、人は「気づき」を得ます。
これだと、1の内容であっても、受け取った本人の中で倍増されます。
10でも20でも、ときには100以上のことを受け取ります。
また、そうして得た「気づき」は、時間の経過とともに自分の中で反芻され、血肉となって人生に生かせるようになるのです。
さらにメリットを挙げると、「気づき」は2次感染、3次感染、と人を介して広がっていくという特性があります。
反対に、ただ覚えた「知識」では、10あったもののうち、人から人へ教えていくうちに10→9→8と、どんどん減っていきます。
まるで伝言ゲームの内容が少しずつ変わっていくのにも似ています。
しかし「気づき」だと、まず本人の中で時間の経過とともに付加価値が与えられ、20になったり30になったりします。
時には、同じ10でも、より洗練された10になったりします。
そして気づきで得たエッセンスは、人に伝えると今度は相手もまたとびきり上等なエッセンスによって気づくことも多く、さらに洗練されるのです。
ふだん情報を能動的に受け取っている人と、受動的に得ている人では、これほど大きな違いが生まれるのです。