威圧的な人から感じる恐怖…。その”本質“とは?
理不尽な上司に言い返すことも出来ない方へ
今回も、私がコンサルティングセッションをさせていただいたクライアントの方の例を、誰もが分かりやすい身近なケースに変換したストーリーとしてご紹介しますね。
日本の、いえ、世界のいろんな職場で、
同様のケースが毎日起こっていると思います。
マサトさん(仮名)は、毎日悩んでいました。
同じ課で5歳年上の先輩で上司の、M主任の攻撃が毎日酷いからです。
何かにつけてマサトさんのやることを批判し、感情をぶつけてきました。
「何をやってるんだ!」
「バカじゃないのか?」
「だからお前はダメなんだ」
「少しはよく考えてやれ!」
と、怒られているマサトさんの周囲にいる人もかなり固まってしまうような表情・言葉です。
いわゆるパワハラですが、本人も周りも、そのことを指摘したり上層部へ申告するということができませんでした。
※こういう風土・雰囲気をもつ職場というのは、近年かなり減ったとはいえ、まだまだ本当に多いです

マサトさんも、怒鳴られることのないようにキッチリと仕事を行い、ダンドリ良く進めていきたいのですが、M主任と対峙しただけで、そしてそのことを考えただけで萎縮し、思うような考えや動き、言葉を発することができなくなるというのです。
私に現状の説明や悩みを打ち明けてくれるマサトさんの様子は、明らかに『生きていくチカラ』を奪われている人のものでした。
実際に言われた内容を質問したとき、それに答えるために過去の記憶を探るのもすごく辛そうだったのです。
しかし、私はその事こそが原因であることを伝えました。
つまり、過去何度か言われた、またはされたことがトラウマになっているだけなのです。
現実には、何百回・何千回とあったわけではありません。
もちろん複数回そういう目に遭ったとは思いますが、その実際にあったシーンを、マサトさん自身が幾度となく自分の記憶の中で『再生』してしまっているのです。
そして、本人のイメージ内でわざわざ何度もバーチャル体験してしまうものですから、その加害者の姿を潜在意識へ刷り込ませてしまっています。
これが、”その人に対する恐怖”の本質なのです。
第一、私から見たマサトさんは、決して理解力や習得能力等が人より劣っているようにはとても思えません。
時間をかけていろいろとお話を聞きながらリラックスしてもらい、その話し方や話す内容をみていると、むしろあらゆることに能力のある方だと、ひいき目なく感じました。
これが、その人のチカラが殺されてしまっているということであり、もったいないことです。
そしてそれは、ひとつの現実から派生して起きた解釈が引き起こしたものであり、そのため、“恐怖の本質”をここでしっかりと理解して欲しいと思います。
